2015年8月27日木曜日

「山田経営維新塾メールマガジン」Vol65,2015,8,12号

戦国武将に学ぶ 合理的経営のススメ

・目標達成のために最適な手段を選択

「合理的とは何か」と問われると答えは難しい。

「合理的」には
1、 目標の設定
2、 最適な手段の採用
3、 目標と手段の間の因果関係が明確
4、 論理的に明確
などの特徴があることがわかります。
感情ではなく、理性をフル回転させなければいけません。

合理的な思考を突き詰めていくと、
どうなるかといえば、
「対象を数量化して捉えようとする傾向が強まってくることです。
目的合理的な思考が緻密になればなるほど、
対象は数量化して捉えるようになり、
できるかぎり数字化して表現しようとするようになる。
その方が目標達成のための仕事をするのにあたって、
対象をいっそう正確に処理していくことができ、
またそれによって仕事の効率を著しく高めることができるからです」

対象を数量化することで、
正確な処理が可能になり、
仕事の効率が高められます。

単に、アカウンティング(お金の計算)や
管理会計の重要性を示唆しているだけではありません。
意思決定や製造・販売プロセスにおいても、
目標管理的な発想が大事であることを意味しています。

目標設定に関しても抽象的な目標を掲げるのではなく、
誰にでも理解できるように、数字に落とし込んで示す。
社長さんは数値化の作業を避けては通れません。


・宣教師から最先端情報を入手

あまり頼りにならない兵を持っているということは
戦法・戦術、武器などに工夫を凝らすしかありません。

最初に信長が思いついたのは槍の長さを変えることでした。
単純に考えれば、短い槍と長い槍が正面からぶつかれば、
長い槍の方が先に相手に届きます。

信長は約5,4~6メートルに及ぶ長槍を持たせることにしました。
戦法はそれに合わせて、大勢の兵を横に並ばせ、
槍先をそろえて、「槍ぶすま」のように敵に突進していくスタイルに変えました。

槍を上手に操る必要はありませんから、
槍に関しては素人同然の兵でも十分に使えます。
さっそく配下の柴田勝家に、清州の坂井大善を攻める際、
長槍を使用させたところ、相手の短い槍を、さんざんに打ち破り、
柴田軍が大勝しました。
信長のアイデアが見事に成功したわけです。

次に、信長が目を付けたのは
日本で出回り始めたばかりの新兵器・鉄砲でした
鉄砲であれば、敵と接近戦を行う必要がありません。

信長はポルトガルの宣教師らと積極的に付き合い、
ヨーロッパの歴史や最新事情に通じていましたから、
「先端技術の枠」ともいうべき鉄砲についてもよく知っています
(情報収集の重要さがわかります)

当時、日本最大の貿易港だった堺を支配すると、
積極的に鉄砲の導入に努めました。
もちろん、他の戦国大名たちも、こぞって導入しましたが、
鉄砲の威力をフルに発揮するためには、
それに応じた戦法を編み出す必要があります。

戦国大名の大半が合戦の最初に一斉射撃して
相手の出端をくじく程度に利用しなかったのに対し、
信長は鉄砲の強みを最大限に引き出すような戦い方を採用しました。


・独自の戦法で、最強軍団を殲滅

その集大成ともいえる合戦が、1575年、
武田勝頼軍と戦った「長篠の戦い」でした。
このとき、信長は一説によると3000挺の鉄砲を用意。
鉄砲と空堀、馬防柵を組み合わせた独自の戦法で、
戦国最強の呼び声も高かった武田の騎兵軍団を殲滅(せんめつ)しました。

当時の鉄砲(火縄銃)は発射するまでに時間がかかります。
筒をそうじし、火薬を詰め、弾丸を入れ、火縄に火をつけて、
引き金を引かなければなりません。
連続して射撃することは不可能でした。

そこで、信長は射撃手15人を1グループとして、
5人ずつ3組に分け、5人で武田軍の武将ひとりをねらうことにしました。
まず第1組の5人が一斉に発射し、射撃を終えたら、後ろに下がります。
続いて第2組の5人が前に出て、一斉に射撃。
その間に第3組と第1組は射撃準備に専念しているわけです。

このように3組が入れ代わりながら打つことで、
連続して射撃することが可能になりました。

さしもの武田騎馬軍団も空堀や馬防柵で足止めされているうちに
鉄砲に狙い撃ちにされ、次々に倒れていきます。
武田方にしてみれば、まるで機関銃で攻撃されているような
気持ちではなかったでしょうか。

合戦は武田方の完敗で終わります。
武田軍15000人のうち約1万人が戦死、
名だたる武将も軒並み討死にしました。
大将の勝頼も命からがら敗走します。

・合理的思考がカンと経験に勝った

このあとも武田は8年間存続しますが、
実質的には長篠の敗戦で命運は尽きていたといわれています。

上之郷敏昭氏は前掲書で次のように指摘しています。
「一見、ダイナミックな勝利や成功に見えることも、
緻密な計画と周到な準備があったように、
一見「運が良かった」と思えることも、
詳細に客観的、科学的に分析していくと、
かなりの部分まで、合理性の積み重ねであることが、結構多いのである。
信長における「桶狭間」も、
源義経における「鵯(ひよどり)越え」も、
相当部分まで、「劣勢、劣悪な状況」を前提とした
緻密な分析と準備の上に成立している」

「長篠の戦」は信長の合理的な思考が
武田勝頼のカンと経験、情念に頼った思考に勝った戦いだったともいえます。

信玄という偉大なる父を持っただけに、勝頼には功を焦る気持ちもあったのでしょう。
「われわれがここで留意すべきは、
勝頼が有能な武将であったとか、無能であったとか、
「長篠の戦」はやった方がよかったのか、悪かったのか語るのではなく、
当然踏んでおかなくてはならない手順、
さらにはその手順を実行するための思考である。
敗戦はそこから自ずと導き出される結果に過ぎないのである」

合戦の準備の段階で、
なすべきことをなさなこっとが手ひどい敗戦を招き、
国が崩壊する原因となりました。

最適の手順の選択と、その実行が合理的経営そのものです。最終的に勝敗・成否を分けるのは「運・不運」「どちらにツキがあるか」ですが、それさえも人事を尽くした人間のほうに味方するのではないでしょうか。


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2015年8月11日火曜日

「山田経営維新塾メールマガジン」Vol64,2015,7,27号

屈指のイノベーター、織田信長

イノベーションの重要さを腑に落とし込むために
歴史上の事例を見てみましょう。
「歴史に学ぶものは生き残り、歴史に学ばないものは滅び去る」
といわれています。

先人たちの苦闘の歴史を知ることは、
自分自身が体験したのと同じくらいの意味を持ちます。

特に戦国時代は負ければ、一族郎党が滅んでしまう時代だっただけに、
イノベーションの重要性、競合との戦い、リーダーシップ、組織論など
学ぶべきことは多い。
経営者にとっては「教訓」に満ち溢れた時代だといえます。

戦国武将で、もっともイノベーションに熱心だったのは、
何といっても織田信長でした。

単に合戦・戦闘のやり方を変えただけでなく、
「楽市・楽座」など政治・経済面でも多数の新機軸を打ち出しました。
戦国時代、いや日本の歴史上屈指のイノベーター(革新者)
といっても過言ではありません。

しかも、思考が、きわめて論理的。
目的に向かってベストと思われる方法を取る
「目的合理性」を持っていました。

信長の導入した画期的な仕組みのひとつに
「常備兵」があります。
それまでの戦国大名の兵隊は例外なく「半農・半兵」でした。

つまり、兵隊たちは、普段は農業に従事していて、
敵が自国に攻め込んで来たり、
自分が仕えている大名が他国へ侵攻したりする際、
武装して戦場へ就いたわけです。

春・秋の農繁期は忙しいので、あまり戦いたくない。
敵も味方も事情は同じですから、他国への遠征は、
もっぱら夏・冬に行われていました。

戦いが長引いて、農繁期になると、
遠征軍は故国に引き上げざるを得ません。
不利な籠城戦であっても、農繁期になるまで我慢すれば、
なんとか生き延びることができました。

兵農を分離し、常備軍を組織した

ところが、信長は発想の転換を図ります。
兵・農を分離させ、常備軍を組織しました。
農民には農作物を育てることに専念させ、
年貢・税で兵隊を雇うことにしたのです。

戦国時代は歴史上、類がないほど雇用が流動化した時代でした。
市中には戦いに敗れ、失職した武士があぶれていますから、
リクルートには困りません。
そうした浪人を傭兵として召し抱えました。

常備兵は季節に関係なく戦えます。
兵站(へいたん)さえ、きちんとしていれば、
長期の遠征も苦になりません。
農繁期を狙って攻め込めば、相手は嫌がります。

戦いの合間には厳しい訓練を施すことで、
集団行動になれさせ、
1人ひとりの技能を高めることも可能でした。

もっとも、問題がないわけではありません。
常備兵は、からっきし弱いのです。
ほかの大名の兵は農民ですから、モチベーションが高い。
戦いに敗れると、農地は奪われ、住むところがありません。
死に物狂いで戦いました。

しかも、地縁・血縁で幾重にも縛らていますから、
戦場から逃亡したり、卑怯なマネをしたりすることできません。
一族郎党の共同責任となるからです。
現代よりも、はるかに「恥」「名誉」に敏感な時代でしたから、
忠誠心は抜群でした。

ところが、常備兵には、そうした「しばり」がありません。
命を捨ててまで、ボスのために戦う必要もない。
形勢が不利となれば、合戦の途中に、さっさと逃げ出します。
クビになっても、他の大名に雇ってもらえばよかったからです。

ですから、信長は戦国大名としてデビューし、
尾張統一や美濃征伐に取り組んだ時代、信長軍は連戦連敗でした。
特に、美濃攻めには手こずりました。

ところが、常備兵を持っている強みを生かし、
信長軍は何度敗れても、ほどなく兵を挙げ、美濃に攻め入ります。
農繁期・農閑期を問いません。
徐々に美濃勢には疲れが見え始めました。

最後は新兵器の鉄砲が威力を発揮し、美濃を攻め落とします。
欠点はあったものの、常備兵を置く発想は画期的、
信長の合理的な思考が光りました。



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