戦国武将に学ぶ勝つ経営
毛利水軍の火攻めに、あえなく完敗
前回の続きになりますが
もうひとつ、信長の合理的な思考を伺わせる戦いがあります。
こちらは木津川沖の大阪湾上で行われた海戦、
信長水軍と毛利水軍が激突した2つの戦いを比べてみると、
信長の非凡さが自然に浮かび上がります。
1576年、将軍・足利義昭の要請で毛利氏は信長との対決を決意します。
とりあえず、信長と対立している石山本願寺と同盟を結び、
海上から本願寺に兵糧を運び入れることにしました。
信長軍の兵糧攻めを無効にする作戦です。
石山本願寺は大阪湾に面しており、
後に、同じ場所に豊臣秀吉によって大阪城がつくられます。
本願寺と毛利氏が同盟を結んだことを、
諜報活動を通じて信長は即座に知ります。
大阪湾からの援助ルートが確立したら、
本願寺を落とすのが、一層難しくなります。
戦国時代最強とうたわれた水軍をもっていたのは中国の毛利氏。
精鋭・小早川水軍、勇敢・村上水軍などを傘下に入れたことで、
洋上では向かうところ敵なしの状態でした。
同年7月、大阪湾・木津川河口付近で
本願寺向けの兵糧を積んできた毛利の輸送船団に信長水軍が襲いかかりました。
毛利軍の護衛戦も即座に反撃します。
第1次木津川の戦いです。
この時の毛利水軍は輸送船300艇と護衛戦300艇。
輸送船には戦闘能力はないとされていますから、
実質的には300艇の戦力でした。
対する織田は安宅船5艇と、
その周りを300艇の船が囲んでいました。
「300艇」対「5艇+300艇」。
兵力の上では織田軍の方が優勢でした。
安宅船は軍船の中心で、幅は10メートル以上、
長さは50メートル以上あります。
漕ぎ手だけでも50人~200人が乗り込み、
スピードはでないものの、巨体の割には小回りが利き、
高い戦闘能力を持っています。
数十人から数百人の兵士も乗船することができました。
安宅船は船足が遅いので、防備に力をいれています。
船上に分厚い楯板をはりめぐらせ、
弓や鉄砲の攻撃から乗組員を守っていました。
ただし、分厚いとはいえ、しょせん木でできています。
毛利水軍は火攻めが得意。さんざんに焙烙
(ほうろく=手榴弾のようなもの)や
火矢をうちかけられ、織田軍の安宅船は次々に炎上していきました。
火の回りは早く、結局は5艇とも焼け落ちてしまい、
数百人を超える兵士、乗組員が犠牲になりました。
毛利水軍の中心である瀬戸内水軍、
村上水軍は倭寇以来の伝統を持ち、
水上での戦闘能力は高かった。
火器で攻撃した後、直接、兵士が相手の船に乗り込みます。
不安定な船の上での白兵戦は離れている方が圧倒的に有利。
名だたる毛利水軍にかなうものはいません。
第1次木津川の戦いで、信長軍は、
これ以上ないという敗北を喫しました。
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